ミニFM局で、番組制作の感覚を掴む

<1996年5月>
 古長谷は“ウォータービジョン21”の勉強会に引き続き参加していた。その会のなかで、「机上で『コミュニティーFMがなんたるか』を語るよりも、実際にどのようなものになるかを具体的にイメージするために、自分達でその放送してみよう」ということになった。
 勉強会のメンバーに清水町職員の下山 義夫さんもいたため、「清水町主催の“湧水まつり”(富士山の湧水涌き出る柿田川公園で毎年8月に開催されるお祭り)の時にミニFM局をやってみよう」ということになった。
 松富が放送局の責任者となり、3年になった中島、そして現在埼玉県与野市在住で後に“Feel-Do”の貴重なメンバーのひとりとなる牧 信一郎、ほか当時の日本大学放送部協力のもと、ミニFM局を開設することになった。

<1996年8月4日>
 午前10時、日本大学の前期試験の忙しい中の準備をなんとかこなし、“第14回湧水まつり”の会場である清水町柿田川公園の入口正面の築山頂上に設けられた特設スタジオにて、ミニFM局“湧水FM(U-sui FM)”が開局した。
 この時の周波数も日本大学の“富桜祭”のミニFM局“N-WAVE”、そして現在のボイス・キューと同じ77.7MHzだった。
 放送は、午前10時から午後3時までの5時間の生放送。“富桜祭”でも使用した“違法トランスミッター”を利用し、公園内の掲揚台の頂上まで、UHF(FM)出力アンテナを延ばし、すこしでも多くの人に聞いてもらえる環境つくをめざした。が、会場内限定放送であり可聴エリアも非常に狭く、会場内各テントのラジカセだけが聴収者という放送、そして、時折始まる静岡東部の伝統芸能"しゃぎり"の音が放送に入ってくるというハプニングもあり、ドタバタ放送であった。
  そんななかでも、会場近くの専門店街“サンテラス駿東”店舗とのタイアップ企画をおこなうなど、真似事ではあるが、地域と放送を通じてコミュニケーションを図ることとはどういうことかと、実体験することが出来た。
 準備時間も少なく、番組進行もどう進めていいか分からない手探り状態のなか、何らかの手応えを感じ、この放送を終えた。