放送開始…それは“延々たる試行錯誤”のはじまり。
<1997年6月7日>
記念すべき第1回の番組放送日。午後8時から1時間。初めての電波が静岡県東部の空を飛んだ。テーマは、「virgin」。放送1回目と日本大学生の「初めての…」を掛け、ギャザーズ・バー “Feel-Do”に来る常連客が語るという、ディスクジョッキー形式の生放送を行なう今からは想像もつかないスタイルの番組だった。
日本大学内のフリーの掲示板やニフティーサーブの掲示板等で、番組を告知し、まだほとんど知られていない番組を1人でも多くの人にとにかく聞いてもらいたいと、少ない人数のなか出来るだけのことをやった。
そんな試行錯誤の中での第1回の放送もその最中に事件が起きる。事前収録したMDの再生で放送を流していたそのトラックがとまるというアクシデントが起きた。これは、編集の過程で放送用MDを数トラックに分けていたのに対し、送出する機材が1トラックで自動停止する設定であったため起こったトラブルだった。いわゆる放送事故だった。結果、放送が2〜3分も停止し、何も流れない時間が続いた。それぞれ放送を車や自宅で放送を聞いていたスタッフは、次々にボイスキューに電話を掛ける。そして、その対処の為に急遽スタジオに駆けつける。結局、収録してあったコーナーを1つつぶし、時間調整をすることにした。当時、放送日はあくまでも事前に収録したものを流すだけだったため、スタッフが集まる予定はなかったが、これをキッカケに放送日にも集合がかかることになった。
<1997年6月中旬>
1996年日本大学富桜祭実行委員会委員長であった長田 大助、同年の文化会委員長であった小林 寿成、1995年文化会委員長であった久芳 仁が新たに「Feel-Do」に合流。3人が持つキャラクターを特に古長谷・松富の2人が気に入る。何かこのキャラクターを生かせないかという話になる。また、第1回放送の告知をニフティーサーブの掲示板に掲載した際に、返信があった及川 忠広が合流。人数が増えたことによって、存続の危機から少しづつから安定に向かう。がしかし、番組制作の“危機”、番組にどういうコンテンツを盛り込んで行くかということは長く続くことになる。
<1997年7月5日>
「Gathers'Bar “Feel-Do”」第2回放送。テーマは、「女って…」。前回の形式である「AVANTI」を模したドラマ形式をたった1回で離れる。
6月中旬のある日、場所は合流したばかりの長田宅。メンバーは彼の自宅の大掃除をからから始める。50リットル大のゴミ袋が2ケタも出た頃、そこに録音機材を搬入。小林・久芳、そして長田が席につく。中島がその機材を見守る中、3人がテーマフリートークを始める。「過去に出会った女性の暴露大会」となった。収録(...というよりトーク)は2時間に及んだ。話の腰折れ部分を除き60分に納めたものに“慌てて掛け込んだトイレにという設定”を前後に付け加えてそのまま放送した。
この2回目から約半年、録音放送であることで「パッケージ創り」を意識したこと、学生であるということが放送するということへの責任を全く意識しなかった(「しなくていい」と自信を持って思っていたのかもしれない)ということ、既存の放送に無いもの=反体制みたいなことを放送に思いっきり盛り込むというのがひとつの方向性がつくられて行った。
後々考えるとこれも数年に渡る試行錯誤のひとつであったと思うが、この回のの放送は一部では“伝説”となった。