<1998年3月下旬>
 日本大学短期大学部2年の國定恵子をメインパーソナリティーにして内容を一新。番組名を「Nichi-dai O号館」へと変更する。学生だけで継続運営していくことの限界から東海大学・日本大学三島高等学校・大仁高等学校が脱落し、それに伴ってキャンパスクラブの放送日が毎月第1・第3日曜日の午後6時からに変更。その2回ともFeel-Doが担当することになる。収録場所も9ヶ月ぶりにボイスキューのAスタジオに戻ってきた。

<1998年4月19日>
 「Nichi-dai O号館」第1回放送。

<1998年5月3日>
 「Nichi-dai O号館」第2回放送。

<1998年5月17日>
 「Nishi-dai O号館」第3回放送。

<1998年6月7日>
 ボイス・キュー開局1年を超えた「Nichi-dai O号館」第4回放送。つまりこの日、「Gathers'Bar “Feel-Do”」第1回の放送からまる1年となった。

<1998年6月21日>
 「Nichi-dai O号館」第5回放送。

<1998年7月5日>
 「Nichi-dai O号館」第6回放送。

<1998年7月19日>
 「Nichi-dai O号館」第7回放送。

<1998年8月2日>
 「Nichi-dai O号館」第8回放送。

<1998年8月16日>
 「Nichi-dai O号館」第9回放送。 

<1998年9月6日>
 「Nichi-dai O号館」第10回放送。

<1998年9月20日>
 「Nichi-dai O号館」第11回放送。

<1998年10月4日>
 「Nichi-dai O号館」第12回放送。
 1年4ヶ月の放送継続の実績が認められ、この回からボイス・キューのAスタジオからの待望の「生放送」が始まった。

<1998年10月18日>
 「Nichi-dai O号館」第13回放送。

<1998年11月1日>
 「Nichi-dai O号館」第14回放送。

<1998年11月15日>
 「Nichi-dai O号館」第15回放送。

<1998年12月6日>
 「Nichi-dai O号館」第16回放送。

<1998年12月20日>
 「Nichi-dai O号館」第17回放送。

<1999年1月3日>
 「Nichi-dai O号館」第18回放送。番組中の「Feel-Do通信」のコーナーのなかで、「早く毎週放送をやりたい」という発言がキッカケとなる。結果次回から、将来の毎週放送に向けての挑戦が始まることとなった。学生にとっては学年末試験迫る1月のこの時期にある意味無謀とも言える実験が、4週(1/17,1/24,1/31,2/7)連続で始まることになる。

<1999年1月17日>
 「Nichi-dai O号館」第19回放送。

<1999年1月23日>
 'Feel-Do'のホームページ(第1次)を開設。スタッフ連絡用掲示板を三島のインターエムズに仮開設するがサーバーを閉鎖されてしまう。

<1999年1月24日>
 「Nichi-dai O号館」第20回放送。

<1999年1月31日>
 「Nichi-dai O号館」第21回放送。

<1999年2月7日>
 「Nichi-dai O号館」第22回放送。

<1999年2月11日>
 この春、日本大学を卒業し、三島を離れることになる長田、國定、小林、高尾の4名の「卒業式」を世間のそれよりはいち早く、三島市内の某居酒屋で開く。この日に集まったのは卒業生・社会人含め、20名。たった2人で静かに立ち上げた“Feel-Do”も大所帯となった。余談だが、この卒業式の後、「佐藤と高尾」「長田と國定」という2組のカップルができ、それぞれ結婚までこぎ着けるというおめでたい出来事もあった。

<1999年2月14日>
 「Feel-Doパーソナリティーオーディション'99(第4回オーディション)」が開催される。5人がエントリー。同日審査の上、國定去りし後の2月28日(日)放送からの次期パーソナリティーが中山一朗に決定。

<1999年2月21日>
 「Nichi-dai O号館」第23回放送。「Nichi-dai O号館」初代パーソナリティーを約1年間(正確には途中の休み期間もあったため、約9ヶ月)つとめた國定 恵子の最終日となった。