<1999年2月28日>
「Nichi-dai O号館」第24回放送。この日から毎週放送となった。
パーソナリティーが中山一朗に代わり、音楽を前面に押し出した内容になった。
<1999年8月>
富士山頂からの中継特別番組をおこなう。NTTより衛星携帯電話を借りて山頂からの通信を試みるが不調(当時は富士山頂に携帯の基地局はなかった)。そのため、電波が不安定ながら携帯電話での中継となった。放送局に残るスタッフ以外は前夜より登頂し山頂で取材をする。放送は1時間×2本のスペシャル番組として、15時からの前半は山頂とスタジオの2元中継、18時からの後半は6合目山小屋とスタジオの2元中継でおこなった。Feel-Doスタッフの行動力が評価された企画だった。
<1999年11月7日>
「Nichi-dai O号館」第60回放送(通算70回放送)。
放送日の日中、三島に来ていた鳩山由紀夫民主党代表(当時)とFeel-Doスタッフが会談。SPによる厳重な警備の中、三島グランドホテル内に準備された部屋で、Feel-Doスタッフ10数人と鳩山代表が30分ほどの会談をおこなった。会談終了後、それぞれが鳩山代表の肩を抱いて写真を撮るなど、学生ならではの傍若無人さも笑って許していただいた。
<1999年12月>
パーソナリティーの中山 一郎にサブパーソナリティーの荒井 美奈子が加わる。
2000年3月に卒業した荒井美奈子は、MINAKOという名でボイスキューで番組を持つ人気パーソナリティーとなる。
<2000年04月>
パーソナリティーの中山 一郎、サブパーソナリティーが永田 真弓に代わる。
<2000年09月>
パーソナリティーが西沢 直樹に代わる。
<2000年12月>
パーソナリティーが中井 雅子に代わる。しっとりとした大人の番組の雰囲気になる。
<2001年04月>
パーソナリティーが飯田 大輔と中野 裕文に代わる。飯田のこだわる映画紹介のコーナーが秀逸であった。
この頃、番組のヘビーリスナーであった高校1年生の伊藤 綾野と同じく高1の赤堀 庄子がスタッフに加わりコーナーパーソナリティーを担当した。
<2001年10月7日>
「Nichi-dai O号館」第160回放送(通算170回放送)。
パーソナリティーが益子 知大に代わる。週代わりだったFAXテーマを、月代わりに変更する。
<2001年11月11日>
「Nichi-dai O号館」第165回放送(通算175回放送)。高校2年生の溝口 剛史、高校1年生の大川 大輔、斉藤 諒、杉村 太地、田内 輝がスタッフに加わり、コーナーも担当した。
<2002年04月>
パーソナリティーが池田 未来に代わる。
<2002年10月>
パーソナリティーが佐藤 あゆ美に代わる。
<2003年04月>
パーソナリティーが上利 麻希子に代わる。
<2003年09月>
パーソナリティーが千葉 薫に代わる。
<2004年04月>
パーソナリティーが藤田 めぐみと斉藤 智美に代わる。
<2004年09月>
6年半ぶりに番組の放送時間が変更になり、日曜午後3時からの1時間番組となる。これを機に番組名を「Feel-Do
Panic」に変更する。
パーソナリティーが隅広 洋子に代わる。
<2005年04月10日>
通算353回放送。放送時間が日曜午前11時からに変更になる。
パーソナリティーが東 まいこに代わる。